ymo
YMOと聞いて、今の人たちは何を思うのだろう。やはり、イモか。imoという視野検査の機械もあるぞ。
実は僕ら世代のヒーローなんです。ワイエムオーと読みます。yellow magic orchestra の略です。
デビューは1978年。まだ人種差別が渦巻いているアメリカで、yellow(黄色人種)が、一世風靡するような音楽を作ったら、どうなるか。というコンセプトで、細野晴臣氏が作ったバンド。坂本龍一、高橋幸宏の3人で、テクノポップという新しい分野を切り開いた。Rydeen とか、techonopolisとか、tong pooとか有名でしょう。
当時の日本は、まだフォークが流行っている時代で、なんじゃこりゃ?という人もいたので、後期には(遊びで)歌謡曲に寄せた歌詞付きの曲も作った。それが、当時小学高学年だった僕の胸を打った。「君に胸キュン」などで、ベストテンにも出るほどだった。
そして、突然の解散(散解と呼ぶ)が1983年。僕は12才。そこからいままで、40年ずっと聞き続けて、歌い続けている歌がいっぱい。というか、YMO名義で発表した曲は、全部知っている。彼らが出したアルバムもレコードで全部持っていたし、カセットテープも持ってた。CDも細野、坂本、高橋の3人の分は、90%は持っている。全部で60枚くらいはあるはずだ。コンサートも行った。YMOの活動時期が、僕が一人で行ける年齢ではなかったので、再結成の1993年の東京ドーム公演には、新幹線に乗って、友達の家に泊まって、参加したのを覚えている。
散会後の個人のステージ、何回行っただろう。3人併せて、矢野顕子もあわせたら、10回以上は行っているな。2023年1月に高橋、坂本が亡くなって、いまは細野さん一人になってしまった。という長年のファンにとっては、さみしい思いをしていたところ、4月中旬に突然開催が決まった「a tribute to YMO」なるコンサートが、Japan music awardのこけらおとしで京都宝ヶ池の国際会館で開かれることが決まった。
コンサートの概要 彼らの若いときの写真も かならずクリックして!
学会でも良く座るあたり
国際会館の偉容、チケットは13列目。old fanにとっては、嬉しい席だ。
メモリアルなコンサート、まるでWHOの国際会議に出席したような雰囲気。でも、これが最後のYMOになることも分かっている。まさにうってつけの会場。国葬と言っても過言ではない。
参加している人も50代以上が多い、でもテクノカットだったり、ガチ勢が多い。目つきがみんな怖い。それぞれに真剣さが感じられる。本当にこれはコンサートなのか、という雰囲気の中、始まる。
司会進行は高野寛、最後まで黒子に徹していたのがかっこよかった。多分、高野さんが居なかったら、このコンサートは実現していない。お疲れ様でした。
イスが独特
①TEI TOWAから始まる。想像通り、予想通りのMIXで35分間。僕は大きい音、苦手、映像も苦手なので、目をつぶって、耳を片方ずつ塞ぎながら耐える(だって、両方塞いだら、周りのガチ勢の人に何しに来とんねんと言われるでしょう?)
②東京スカパラダイスオーケストラの金管奏者が4人来て、クラリネットやホーンで演奏出来る曲をやってくれた。ここまでは、アシッドなデカい音だったが、このあとはコンサート的になった。
③山口一郎(サカナクション)が、歌詞付きの曲を2曲。カラオケになってた。「過激な淑女」俺も歌いて~、全部歌詞覚えてるし。
④岡村靖幸の登場で、一気に締まる。2曲だったが、やはり本物の歌手は違う、観客を巻き込む力がすごい。「君に胸キュン」で、あんなにボルテージがあがることはない。
⑤坂本美雨(坂本龍一と矢野顕子の娘)、彼女は本当に綺麗な声をしている、前に芦屋の美術館でミニコンサートをしてくれた時に生声を聞いたが、矢野顕子の高い部分の声。坂本龍一が、娘と一緒にピアノで遊んでいる時に出来た歌、「ONGAKU」を熱唱していた。これが、お父さんが自分に作ってくれた歌なんだということを会場の人々は知っていただろうか。知ってるよな、ガチだもんな。僕は泣かずに歌う美雨さんに拍手を送った。
ongaku by YMO 坂本龍一の珍しいリードボーカルの曲
⑥Ginger Loot 中国系アメリカ人のオタクミュージシャン、「snakemanshow」の曲を一人で声色替えて歌ってくれたのは、感動したよ。君が「Japanese gentleman stand up please」を連呼してくれたおかげで、あの会場でも立つことが出来た。感謝。
⑦小山田圭吾 僕がこのコンサートで、一番気にしていた人。去年、京都のコンサートで完全復活遂げたのかなと思っていたけど、やはりまだ顔が死んでた。一度自殺まで追い込まれた人の顔だ。サングラスを外すことができるようにはなったみたいだけど、本当にネット殺人の恐ろしさを知る。彼の演奏、歌、とてもとても丁寧で良かったのだけど、顔が印象強すぎて、何の曲してくれたのか覚えてない。ごめんなさい。彼が一番、YMOの葬式に近い感情を持っていたと思う。
⑧原口沙輔 若きシンセサイザープログラマー(松山出身)「Rydeen」をやってくれた
⑨松武秀樹 老いたシンセサイザープログラマー、第四のYMOと言われる人、最初の頃は、ほぼすべてのシンセサイザープログラムを担当していた。「solid state surviver」をしてくれた、あのメカ声は、松武さんの声だったんだ。本当のYMOがここに一人いた、身体が震えた。(細野さんは来てなかったからね)
⑩高野寛とバンドの4人 ゲストの人達は、みなそれぞれに自分の思い入れのある曲をしてくれた。高野さんは、自分も真ん中でしたかっただろうが、でしゃばらなかった。バンドの方々は、ミスのない演奏、本当にありがとうございます。2時間半お疲れ様でした。
京都、宝ヶ池の国際会館は、僕に取っても、いろいろと思い入れのある場所、阪大時代の田野教授との思い出含め、いろいろと別れの思い出がある場所なんだ。
今回、YMOのことがこれで終わってしまったけど、行く意味があった、僕にとっては大事なイベントだった。僕がこのくらいYMO好きなこと、普通に周りに好きな人いないから同じ熱量で語ることができない、でも、このイベントに来ていた人とならば、通じるはず。そう思えたことが、とてもうれしかった。僕は孤独じゃ無い。
今日は長文になりました。最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。